DOの自信、BEの自信

メンタルヘルス

本日は自己肯定感を高めるための考え方として「DOの自信、BEの自信」について投稿します。私がメンタル不調で休職していた時期に有償のカウンセリングでカウンセラーの方から習った話です。

そのカウンセラーの先生曰く、「自信」には2種類存在すると言うのです。

  • DOの自信:行動の成果によって得られる自信
    • 例)鉄棒で逆上がりが出来た。テストで100点取った。仕事で高い営業成績を挙げた。
  • BEの自信:心の在り方、自分自身の存在に自信を持つこと

「DOの自信」は、加齢と共に認知機能や体力の衰えによって、過去に出来ていたことが、出来ない状態に変化してしまうと失われてしまいます。病気やケガ、世の中の情勢などによっても変化してしまうリスクがあります。

一方「BEの自信」は、形が存在せず、自己中心的な評価で完結するため、外的な影響を受けにくいメリットがあります。

典型的な例として次の様な話があります。

途中で諦めなければ、途中段階のミスは将来の大きな成功に繋げるために必要な経験ステップ

この様な超ポジティブ人間は、周囲からツベコベ言われようが、自分自信の信念や行動力を信じて疑っていないことになります。

「DOの自信」だけに頼り過ぎると、時間変化、環境変化によって、自信を失う可能性があるので、併せて「BEの自信」を育むことにも注力しておきたいものです。

ここで誤解して欲しくないのは、「他人の意見に耳を貸さず自己中心的な人間になるべき」と言っている訳ではなく、「DOの自信よりBEの自信が優れている」と決めつけている訳でもありません。

両方をバランス良く保持したり、評価に繋げたりすることの大切さを伝えようとしています。

では、どうすれば「BEの自信」が高められるのか? について、次に考えてみる事にします。

親、兄弟など、血の繋がりは実に強固なモノがあります。個人が世間からどう評価されていようが、財産状況が多少悪かろうが、手放しで愛してくれる場合が多いです。(無条件の愛)

かつての「恩師」と「子弟」の関係も親子の関係に近い繋がりと言えそうです。

「宗教団体」は、時と場合により「無条件の愛」を提供してくれるケースがあります。メンタルが弱って来ると、神様や仏様にすがりたくなる気持ちになるのは、一定理解できます。但し「団体」を存続させるため、「お布施・寄付」という形の経済行動を伴うことが一般的であるため、真の無条件の愛であるか?については、難しい判断が入ります。人の弱みに付け込む悪い輩が存在するのも事実です。この辺は最近、社会問題化しつつありますが、当サイトは「宗教の話題」を「禁止事項」とし、取り上げないルールにしていますので、この程度に留めます。

次に「友人関係」について考えてみます。

職場内の付き合いは、仕事の好不調や、ビジネス上の価値観の衝突によって、関係性に影響が生じる場合があります。立場上の上下関係も無視する事は難しいと言えます。組織の目標達成を優先する都合があるため「DOの自信」軸での評価に偏りがちになるのは致し方の無いことです。

同じ趣味を持つ仲間は、趣味の話で盛り上がっていると、つい時間を忘れてしまう位、いつまでも楽しく話続けられるものです。

私も「リワーク(リワーク支援)」施設で出会った仲間達と、お酒を飲みながら、生産性の無い会話をしている時間が最も楽しく感じます。何も建設的な生産物を生み出さない私と、大切な時間を共にしてくれる仲間の存在は掛け替えのない宝であり、とても大きな「BEの自信」に繋がっています。

この様に、気持ち、価値観、生まれ故郷、年齢など、あらゆる要素で、共通項を持つ仲間を持っておくと、お互いが共感できたり、リスペクトし合えることで「BEの自信」が育まれる様な気がします。

タイトルとURLをコピーしました