「多様性」と「公平」は異なる

メンタルヘルス

「多様性」というテーマで相手を否定するナンセンス

会社生活や、地域の中で「ダイバーシティ(多様性)」と言う考えが言われ始めて割と年月が経過し、一般的な認知も広がっている認識があります。テレビ番組などでも、この件に関する意見のぶつかり合いを度々目にします。主にはLGBTQ関連の話題が多い気がします。

そもそも「多様性」と言うのは属性や価値観の違いを認めて尊重しましょう、と言う考え方なので、その件に関して対立意見をぶつけ合っている状況が既に変だし、最早ギャグに近い印象を持ちます。

番組運営サイドが、視聴率アップ目当てで意図的に対立軸を作っている点も理解しています。せめて、第三者の作為に踊らされる事なく、冷静にエンタメを楽しむ心のゆとりを持ち合わせたいところです。実際に迫害を受けている当事者の方々は、そんなエンタメを楽しむ様な穏やかな状況にないとは思いますが。

「多様性」と「公平」は異なる

「多様性」と似た言葉で「公平」や「偏向抑制」が使われます。勿論どちらも重要だと思います。深く考えず、ごちゃ混ぜで議論している場面も目にします。

「多様性」と「公平・偏向」の双方には、大きな違いが存在すると思います。「公平」と「偏向」という言葉の前提には基準点が存在すると言う事です。

仮に中心点や基準点を定めようとするならば、取り扱う世界観を定義する必要があります。ある人は自分が住む地方自治体(例えば神奈川県だとか、大和市だとか)の観点でモノを言っていて、他方はよりグローバルな世界各国の目線で話をしていたのだとします。お互いが追い求めたい正解が異なりますので、意見が噛み合う筈がありません。考え方をぶつけ合う前に、前提とする世界観のすり合わせから始めるべきです。

「マジョリティ」「マイノリティ」と言う言葉が出始めた時点で、既にそこには分母が存在している話になります。「多様性」の議論の延長の中で、このキーワードが出て来た時点は、イエローシグナル。一度、足を止めて「多様性」の議論をしたいのか、「公平」や「偏向抑制」の話をしたいのかを再確認した方が良いと思います。

「多様性」は、自分と異なる属性や価値観を受容し、尊重しようと言う考え方です。必ずしも分母を規定している訳ではありません。どんな世界観に直面したとしても通用する考え方です。

「多様性」を維持するためにはルールが必要

しかしながら、いつどんな状況においても、自分と異なる属性・価値観を受け入れるというのは無理な話です。例えば、自分自身や、自分が大切に思う家族の生命や財産に危害を加えようとしている人の価値観を受容することなど、到底できる筈がないのです。

従って、安全、かつ健康的に「多様性」を維持するためには、最低限守るべき「ルール」が必要となります。ルールにの範囲内で活動するプレイヤー同士の安全が確保できない状況下では、他人の異なる属性・価値観を尊重する訳には行きません。

生まれや育ち、文化が異なる人種が集まる他民族国家アメリカが、細かく「法律」で規定するのには、この辺が起因していると思います。裏を返せば、ほぼ単一民族の島国日本は「多様性」という文化が、そもそも馴染みにくい国民性なのかも知れません。

「蛇足」

脱線ついでに、マスコミが「分断」という言葉を使って、大衆をマインドコントロールしようとするケースを目にします。「左派」と「右派」、「富裕層」と「一般庶民」の様に。そもそも「多様性」を大切にしたいのだから、無理に少ない枠組みに整理しようとしなくて良いと思うのです。マスメディアは、多様な知的水準の人を相手にする都合上、話を単純化するための意図的なデフォルメをしているのかも知れません。

もしかすると、プロパガンダによって、世論誘導したいのかも知れません。そんな世論誘導を仕掛けるフィクサーたちの考えも尊重しないとイケないのかも知れないのですが。。。(笑)

まずは、自分が持つ価値観をしっかりと持ち、あっちへフラフラ、こっちへフラフラが無い様にしたいものです。しかも、決して意固地になる事なく、謙虚に他人の話には耳を傾け、是々非々で判断をアップデートできる柔軟性も持ち合わせたいと思います。by 気質的には頑固に陥り易いおやじカテゴリの私

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